アパポーン・ナコンサワン อภาพร นครสวรรค์
~ルークトゥン界の苦労人~
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アパポーン・ナコンサワン

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アパポーン・ナコンサワン

本名 :ジャンペン・プラコーブ
出身地 :ナコンサワン
仏歴2512年7月29日生まれ 6人兄弟
9作目「ルークレオ・カ」(別れちゃったの)が爆発的なヒット。明るく、ノリがいい曲が彼女の持ち味。しかし長い間、辛酸を舐めて過ごした彼女は正に苦労人。その後もコンスタントにヒットを生んでいるものの、おごること無く多くのファンや関係者から好かれている。現在、プロモート事務所には所属せずに、個人で数多くの仕事依頼をこなしていられるのも、そんな彼女の人柄によるのでしょう。
ルークレオ・カ
★ルークトゥン名曲選:ルーク レオ カ
♪アパポーンにまつわるエピソード
その1
小学生の頃から歌うのが大好きで、プムプアンのようになりたいとずっと憧れていたアパポーン。村祭りなどで催うされる素人のど自慢(?)に出る度に優勝を重ね、しまいには「また、おまえか!」などと敬遠されることもあったとか。そんな事を繰り返しているうちにスカウトされ、バンコクへ出てくることに。しかし、プロの世界は甘くなかった。出すアルバムはほとんど泣かず飛ばずで、これが売れなかったらもう止めようと思いながら発表した9作目「ルーク・レオ・カ」が空前の大ヒットを記録するまで、アルバイトをしながら食いつないでいたそうだが、その後、「チョープ・マイ」なども続けてヒット。今やベテランとして安定した人気を保つ。
派手派手なコスチュームも話題になった? アルバム「ルークレオ・カ」
その2
2003年初め、ツアーの移動中に乗っていたバスが交通事故を起こし、その後のコンサートを数回キャンセル。アパポーン自身もむち打ちを負ったものの、ひと月もしないうちにバンコクのイベントに登場し、激しく首を振るアクションを取り入れたダンスを披露。その後のインタビューでまだ痛みはあるし、きょうは70%の出来、また病院から看護婦を伴ってきたと語り周囲を驚かせた。 その3 アルバム「ノーン・ノーン・マイ・ラップ」(上写真)発売直後、初めてアパポンのコンサートを見た。ハーンクルアンと呼ばれ、やるきなくだらだら踊るバックダンサーとは違い、その本格的な踊りの構成には圧倒された。 そのバック・ダンサーの中でひとり、丸坊主がひと際異彩を放っていた。舞台ではアパポーンの相手役的に話にも加わる彼は、バックダンサーのリーダー。そして、上述の圧倒される振り付けも彼の創作に寄るもの。アパポーンには相当な信頼をされている様子。

左端がリーダー
(Loogthung-THAILAND!旧サイトより加筆、修正 2551.2.18)
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