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プムプアン・ドゥアンチャン พุ่มพวง ดวงจันทร์



~未だ揺るがないルークトゥンの女王~
พุ่มพวง ดวงจันทร์
プムプアン・ドゥアンチャン


  プムプアン・ドゥアンヂャン(1961年8月4日生~1992年6月13日没)ニックネーム「プン」、本名「ラムプン・ヂッハーン」。ルークトゥン歌手に して、ルークトゥンの女王と呼ばれる。文盲にして様々なスタイルの楽曲を歌いこなし、今もなお現在に続く歌手たちの母とも言える存在である。


ชื่อจริง       รำพึง จิตรหาญ
本名:     ラムプン・ヂッハーン
ชื่อเล่น       ผึ้ง
ニックネーム: プン
ฉายา        พุ่มพวง ดวงจันทร์
芸名:     プムプアン・ドゥアンヂャン
ทื่เกิด        เมืองสุพรรณ
出生地:     スパンブリー
วันเกิด       4 สิงหาคม พ.ศ. 2504
誕生日:    1961年8月4日
วันที่เสียชีวิต    13 มิถุนายน พ.ศ. 2535 (อายุ 30 ปี)
死亡日:    1992年6月13日没、享年30歳
แนวเพลง เพลงลูกทุ่ง  ปี พ.ศ. 2519 - 2535
歌手活動:       1976~1992年




◆プムプアン・ストーリー

生い立ちから成功への道のり。そして死を巡る不幸。

◆プムプアンの時代とルークトゥンのこれから
(心にいつも、る~くとぅん♪ バンコク情報紙Web:
2008年12月16日号及び2009年1月16日号掲載)

◆17回忌で寺は混雑 息子ペット、夫グライソンも列席


◆関連ページ

 【名曲選】ソムタム

 【名曲選】ナクローン・バーンノーク

 【名曲選】サヤーム・ムアン・イム

 【名曲選】コー・ハイ・ルアイ

 【フォトレポート】プムプアン20周忌追悼コンサート(2012年)

 【フォトレポート】プムプアン追悼コンサート:その2(2012年)






◆プムプアン・ストーリー



幼少期

  ラムプン・ヂッハーン(後のプムプアン)は、12人兄弟の5番目としてサトウキビ農園の小作人であった父サーラーンと母レックとの間にスパンブリー県 ソーンピーノーン地区で生まれた。家族はラムプンの誕生前、元々チャイナート県ハンカー地区から越して来たのだが、彼女は小学校を2年で中退せざる得ない ほどに一家の暮らしは極貧で、彼女自身も野菜売りなどをして家計を支えていた。


歌手への道のり

  ラムプンは子どものときからルークトゥンを歌うことが好きであった。「น้ำผึ้ง ณ ไร่อ้อย(ラムプン・ナ・ライオーイ)」(サトウキビ畑のラムプン)という名前も付けて兄弟をバンドにして歌っていた。父と親類は、ワイポット・ ペットスパンの耳にその歌声を届けるとすぐにラムプン・サクニーの名で楽団に所属することとなった。そして2519年(西暦1976年)น้ำผึ้ง เมืองสุพรรณ(ラムプン・ムアンスパン)として初めて録音されたのが「แก้วรอพี่(ゲオ・ロー・ピー)」であった。プムプアン14歳の時である。

  ワイポットの楽団に所属したものの彼女は、一緒にいた楽団のトランペット奏者ティラポン・セーンスックと駆落ちをしてしまう。半ば破門同然でワイポット楽 団を飛び出したのだ。その頃からプムプアンの男運の無さが始まった。その後、ハークルアン(バックダンサー)兼歌手としてソンペット・ソンスパン楽団に入 る。しかし、ソンペット楽団に長くいることは無く、すぐにクワンチャイ・ペットロイエットの元へ移って行く。その頃に発表されたのは「รักไม่อันตราย(ラック・マイ・アンタラーイ)」である。そしてラムプンの名は、モン・ムアンヌアによって「プムプアン・ドアンチャン」と名付けられたのである。

  ラジオプロデューサーであったモン・ムアンヌアは、プムプアンに専属の楽団を持たせた。その頃には彼女の最初の夫になっていたティラポン・セースックも楽 団の一員として働いていたが、成功を収めるにはまだ時間を要した。別のスポンサーであるセークサンテープ・ペンシアンによってセーリー・ルンサワンととも に「セーリー・プムプアン楽団」として活動するころになって、やっと成功の芽が出て来るのである。


人気絶頂期へ

アルバム「プムプアン・ナイ・ドゥアンチャイ2」
สาวนาสั่งแฟน(サーオ・ナー・ソン・フェーン)


 プムプアンの名が世に知れるのは、2525~2430年の頃。セークサンテープ・ペンシアンの所属を離れ、アソナー社に所属。同時にロップ・ブリーラット によって、聴衆が最も求めているとして楽しい曲をメインに発表するようになったことが飛躍のきっかけとなったのだ。その頃に発表されたのは「สาวนาสั่งแฟน
(サーオ・ナー・ソン・フェーン)」<田舎娘が恋人を諭す>だ。プムプアン本人は、これまで歌って来たような静かに語り聴かせるような歌が好きだった。しかし、人気に火をつけたのは、すなわち、นัดพบหน้าอำเภอ(ナッポップ・ナー・アンプー), อื้อฮือหล่อจัง(ウウー、ロー・チャン), กระแซะเข้ามาซิ(クラセッ・カオマー・シッ),などといった軽快でポップな曲だった。それらが続けざまにヒットして、彼女を国民的歌手にまで押し上げた。そして、シリントーン王女よりส้มตำ(ソムタム)の歌詞を賜るにまでその人気は頂点を極めて行くのだ。そして、 ดาวเรืองดาวโรย(ダーオルアン・ダーオローイ), นักร้องบ้านนอก(ナクローン・バーンノーク) といった曲は、彼女の死後、改めて見直され彼女の代表曲となった。



映画の一場面と思われる画像
(幼さの残る表情は貴重かも)

 プムプアンは映画の世界にも進出していく。初めての作品は「สงครามเพลง(ソンクラーム・プレーン)」<歌の闘い>。そして、当時トップ男優であったグライソン・セーンアナンとは共演がきっかけで二度目の結婚。男の子(ペット)を授かっている。現在大学へ通いながらグランミー所属歌手として売り出している。)


恐らく幸せの絶頂だった頃


似てる? 一人息子เพชร สรภพット・ソラポップ)


アルバム「เพลงของแม่(プレーン・コン・メー)」<お母さんの歌>


 グライソンとの結婚後も、トップライン社とパイチット・スパワリー師によって多くのヒット曲ตั๊กแตนผูกโบว์ (タカテン・プクボー)、โลกของผึ้ง(ローク・コン・プン)などを世に送り出し、まさに順風と思えたのだが・・・


ตั๊กแตนผูกโบว์ (タカテン・プクボー)
絶頂期のライブ映像

隠されていた不幸

 
プムプアンが体調を崩したのは、亡くなる前年だった。腎臓病で何度も入退院を繰り返していたのだ。その頃、夫グライソーンは子どもを連れてチェンマイの妾 の家にいた。さらに彼女が文盲であるのをいい事に、彼女がそれまで築き上げて来た財産のほとんどを彼の名義に変えていたのだ。その辺りは死後、夫と実母に よって法廷闘争に発展したのだが、多くのタイ人がその時になって初めて彼女が字が読めなかった事を知った。
 発病は彼女に生きる気力を奪っていった。わずか1年足らずの1992年6月13日午後9時、ピサヌロークの病院でプムプアン・ドゥアンチャンは帰らぬ人となった。

  しかし、彼女の存在は出身地スパンブリー県に建立されたプムプアン寺(通称)に象徴されるように、タイ人にとって、かつ歌手を目指す人に取って今現在で も、変わらぬ輝きを放ち続けている。すでにベテランとなったユイ・ヤートュ、スナリー・ラチャシマー、アパポン・ナコンサワン。そしてターイ・オラタイ、 タカテン・チョンラダー、ウーン・ザ・スターなどなど、ルークトゥン歌手のほぼ全員が口を揃えるように最愛の歌手として、目標としてプムプアンの名を挙げ ている。そして、毎年の命日に行われる追悼公演の陰では、今も参拝を欠かさない。恐らく今後も誰もプムプアンを超える歌手は出て来ることは無いのだろう。


参照サイト及び文献
 ◆まとわりつくタイの音楽 前川健一著 めこん社
 ◆Remenber Unclemit http://remember-unclemit.blogspot.com/
 ◆Thai HUB  http://thaihub.org/index.php?title=พุ่มพวง_ดวงจันทร์









プムプアン廟を参拝するターイ・オラタイ(上)と
タカテン・チョンラダー(下)


写真:タイエンタメ紙สยามดาราより


◆プムプアンの時代とルークトゥンのこれから

心にいつも、る~くとぅん♪ バンコク情報紙Webより)


  プムプアン・ドゥアンヂャン。ルークトゥンの女王として今もなお大きな存在感、というより彼女を知らずしてルークトゥン好きを標榜するなかれとも言えるほ ど。1976年から1992年、16年間の歌手生活にあって王族から歌詞を賜ったのは、未だに彼女一人だ。それほどタイ人に愛された彼女について、わたし はこれまで出来るだけ紹介を避けてきた。理由は二つある。
 ひとつは、前川健一氏による「まとわりつくタイの音楽」(めこん社)で詳細な紹介がな されていること。二つ目は私自身、彼女の生前の姿についてほとんど知らなかったことだ。つまり、彼女について書こうとするとどうしても氏の受け売りになっ てしまうためだ。しかし、今回は敢えてそれに挑んでみたい。別にわたしなりに研究の成果があるわけでもないのだが、このコラムが次回で連載50回を迎える にあたって、ルークトゥンについて50回も書いておきながら、息子のペットについて触れただけとは、ちょっと情けないという事情もある。とはいえ、プムプ アンについて直接正面からぶつかることはやっぱり出来ないので、わたしなりに彼女を通して感じた当時と今のルークトゥンについて書いてみたいと思う。





 わたしがタイを初めて訪れたのは1992年4月末。5月17日には、未だに血の惨劇として語り継がれている大事件が起きており、その日わたしはバンコクに 滞在していた。それから1ヶ月あまり後にプムプアンは病死している。もちろん、彼女を知ったのはずっと後なのだが、自分の初めての訪タイとタイ国史上に残 る事件と偉大な歌手の死が重なったことに妙な縁のようなモノを感じた。タイとルークトゥンにこれほど関わることはこのとき既に決まっていた。とは思い込み が激しすぎるだろうが。

 最近、インターネットの動画サイトYouTubeでプムプアンのステージ(下の動画)を見ることがあった。人気 絶頂期の当時、観客の彼女への反応、そして彼女自身の振る舞いを見るにつけ、その当時彼女がタイでどういう存在だったのかを伺い知ることが出来た。そのビ デオで彼女は、白いお姫様スタイルのドレスに白いヘアバンド。そして、観客も悲鳴に似た声援をおくっている。その姿は、歌そのものを消してしまえば日本の 70年代アイドルそのものだった。その当時、プムプアンは紛れもなくアイドルだった。存命中のヒット曲にアップテンポなものが多いのはそのためだろう。そ して、「ナクローン・バーンノーク」のようなゆっくりした曲は、どちらかと言えば死後に、後進の歌手たちによって再び脚光を浴びたようだ。それは彼女の死 後明らかになった事情にも関係しているのだろう。彼女は小学校3年で中退し、歌手となったあとも文字を読むことができなかったということ。そして、そのた めに様々なトラブルに見舞われてしまったこと。その死の直後、そんな彼女の身の上が明らかになるにつれ、それらのスローな曲に対して多くの思い入れが深まったのだろう。




アイドル「プムプアン」を伺わせるビデオ映像
กระแซะเข้ามาซิ(クラセッ・カオマー・シ)


 さて、着ている服や曲のアレンジこそ違っているが、プムプアンの時代から今までルークトゥンは基本的に何も変わっていない。ルークトゥンの王と呼ばれるス ラポン・ソンバッチャルーンの時代では当初ルークトゥンという言葉もなく、西洋風のタイの歌(プレーンタイサコーン)と呼ばれていたことからも、ルーク トゥンは今も昔もポップスの一種だ。そこに少しタイ古典音楽や楽器などのエッセンスが加わっただけである。しかも、一番代わり映えのしない要素として、演 奏に使われる楽器が管楽器が中心だということもある。今一番流行っている曲も、ルークトゥンのバックバンドが演奏すれば、それなりのルークトゥンになって しまう。その逆にルークトゥンの曲をシンセなどを多用してアレンジするとそれも今風になってしまう。敢えて書いてしまうが、この辺の殻というか足かせとも 言うべきモノを上手に取り外しながら、ルークトゥンをしっかり感じさせることが今求められているような気がする。実は、かつてこれを実現した歌手がいる。 他でもないバード・トンチャイだ。第3次ルークトゥンブームとも言われたときにバードがチンタラーとのデュエットで発表した「マー・タム・マイ」はまさに これだった。しかし、そのあとが続いていないのが悲しいことでもある。何もバードにルークトゥン歌手になれと言うわけではない。ああいったファッショナブ ルでビートに富んだアレンジ、その方向を継ぐ歌手が出て来ないのだ。

 かつてプムプアンは自身の曲について「エレクトリック・ルークトゥ ン」と表現していたそうだ。それは、彼女以前にはロック調にアレンジされたルークトゥンは皆無だったことを意味する。プムプアンのカバーが流行った当時、 マイ・チャルンプラが何の違和感もなく取り組んで人気を博したが、ロック調というベースが同じなら違和感があるはずもない。このことからプムプアンとは、 それまでの今よりもさらにもったり、まったりしていたルークトゥンの曲に一つの改革と転機をもたらした歌手でもあったと言えるだろう。そして、これから彼 女を超える、或は同等な歌手が出て来るというなら、やはり別の何かをもたらす力を持っているのかもしれない。それがバード風なのか、はたまた全く別の方向 なのか。いずれにしても、それでもルークトゥンはまだまだ変わらないだろうし、まして消えて行くこともないだろう。それは、今でもルークトゥンがタイ庶民 の心の歌だから。


2008年12月16日号及び2009年1月16日号掲載)



プムプアン特集、いかがでしたか?
  思いつきで始めて予告などしたモノだから、大きな期待をしてお待ちいただいたかもしれず、その方々には満足していただけるものになったかどうか、かなり不 安。というのも、手元には大した資料もなく、ネットでの情報収集しかできなかったから。思えば、奥サンの実家に貴重な(と思われる)本があるのだが、持っ て来ていない事が悔やまれます。その辺は今後、新たに追記していく事もあると思いますので、詰めの甘い点はご容赦下さい。

  6月13日の命日あたりには、毎年タイのアチコチで追悼のイベントが開かれます。特に大きなイベントはスパンブリーのプムプアン寺。前週から1週間に渡っ て替わるがわる大物歌手が歌いに来ます。実は、わたしもまだ見に行ったことは無いのですが、機会があれば必ず行こうと決めています。


17周忌を前に敬愛を込めて、
プムプアンと全てのルークトゥンファンに捧げます。
2552年6月11日(木) そむちゃい吉田 







最後にこの曲を

โลกของผึ้ง

プンの世界

โลก สุดสวย อันแสนกว้าง ไกล
広くて美しい世界

มวล พิษภัยดูมาก มี
全てがはかなくて危うい存在

แต่ ชีวิต ในโลกทุกชีวี
でも、この世界で生きていく

ยัง ต้องมี ดิ้น รน
まだ必死に生きている



ผึ้ง น้อย ตัวหนึ่งนี้
小さな一匹の蜜蜂

ดิ้นหนี พิษภัย ที่ ผจญ
危うさの中で飛び続ける

ต้อง ทุกข์ ต้อง ทน
苦しみ、もだえながら

เพื่อชีพตน และคน ร่วมเดิน
生きるために 進み続けるために

ผึ้ง ผกผิน บิน ลอยลิ่วเคว้ง
彷徨いながら、流されながら飛び回る

เอา เสียงเพลง แลก เงิน
歌声をお金にかえて

ผึ้ง ก็หวัง แฟนผึ้งยังไม่เมิน
恋人はまだ振りむいてくれない

ปล่อย ผึ้งเดิน ที่สลัว
薄汚れていてもそのまま

ผึ้ง ได้กิน ใช่กิน เพียงตัว
食べられるだけ食べて

ทาง ครอบครัว ก็อิ่ม กัน
家族が満たされるように



ผึ้ง น้อย ตัวหนึ่งนี้
小さな一匹の蜜蜂

ดิ้นหนี พิษภัย ที่ ผจญ
危うさの中で飛び続ける

ต้อง ทุกข์ ต้อง ทน
苦しみ、もだえながら

เพื่อชีพตน และคน ร่วมเดิน
生きるために 進み続けるために

ผึ้ง ผกผิน บิน ลอยลิ่วเคว้ง
彷徨いながら、流されながら飛び回る

เอา เสียงเพลง แลก เงิน
歌声をお金にかえて

ผึ้ง ก็หวัง แฟนผึ้งยังไม่เมิน
恋人はまだ振りむいてくれない

ปล่อย ผึ้งเดิน ที่สลัว
薄汚れていてもそのまま

ผึ้ง ได้กิน ใช่กิน เพียงตัว
食べられるだけ食べて

ทาง ครอบครัว ก็อิ่ม กัน...
家族が満たされるように


17回忌で寺は混雑 息子ペット、夫グライソンも列席

 2009年6月13日、スパンブリー県のタッブクラダーン寺(通称プムプアン寺)に於いてルークトゥンの女王プムプアンの17周忌が営まれた。朝早くからスパンブリー県内はもとより、遠く県外からの参拝者が大勢訪れている。その中の一人に話を聞くと宝くじが当たるようにと願をかけるのだと言う。プムプアンの追悼のついでに宝くじと思われるだろうが、ここは宝くじがよく当たるということでも有名なのだ。詰めかけた多くのファンは、お線香を灯しながら彼女が数えきれない数のヒット曲に恵まれたような幸運が自分の見に起きるように願っているかのようだ。



参拝に訪れたフォン、スナリー・、カトリヤー
<この写真に関する記述が無いのが、不思議だがこれもタイ式か?>


 朝9時過ぎ、ペット・ソラポップ一行が参拝とともにスパンブリー県内の就学困難な優秀児童にプムプアン奨学金を支給するために同寺を訪れた。少し遅れてプムプアンの夫であったグライソン・セーンアナン氏も参拝に訪れた。先日ペットが出家した際には父に断らなっていなかったそうだが、父子はここで偶然再会した形になった。


 同寺の近くでは、13日夕方からは3日間に渡って17周忌の追悼コンサートが開催される。
それぞれの出演者は以下の通り。

13日
ウーン・ザ・スター、ユイ・ヤートュ、カーオティップ・ティダーディン、ヌッチャリー・シーラチャー、ゲーオ・マニーチャーイ、プレーワー・ポチャリー、ナタリー・シーペット、ノーンディア・チョリダー、ノーンレー・スチャウディー、キーム・ピムワライ、ウィー・ウィパーダー

14日
サラックヂット・ドゥアンチャン、チャンチュアン・ドゥアンチャン、ドゥアンチャイ・ドゥアンチャン、ダムロン・ウォントーン、デンチャイ・サーイスパン、ポンチャイ・サワンスィー、アムポン・ウェンペット、パネンパー・ムクダーマート、ドゥアンター・コントーン、ヨードラック・スィームアンマイ、ノーンベム

15日
オン・オラディー、カンチャナー・マーラシー、ムック・メタニー、トサポン・ヒマパン、チョン・アピチャート、クリアンガイ・グルンサヤーム
※原文にはタイ式な記述もあるために省略、意訳あり。
出典:INNニュース6月13日掲載原文 


 父に断りもせずに出家した息子と父親が再会するように仕向けたのは、プムプアンなのでしょうか。夫には辛い目に遭わされたとは言え、実の息子の幸せを願う母としての彼女の気持ちが二人を会わせたように思えます。





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♪じゃがりこさん♪

レス遅くなり、失礼しました。
プムプアンの生涯を描いた映画もDVDになっています。
そちらも見ていただけるとより宜しいかと。
何か質問などあれば、お気軽にどうぞ!

有り難う御座います。彼女の歌が昔好きでした。でも彼女の事を何も知らなかったので今回知る事が出来、嬉しく思っています。今、YouTubeで彼女の歌を聴いて想いにふけっています。

♪シライさん♪

なんとも、素晴らしい!!
フォローというより、こちらをメインの記事にした方がいいですね。。。(恥)

これからも、よろしくです。。。

No title

プムプアンの出生地について、FM94.5のDJであり、ルークトゥンの研究者でもある、ジェーンポーン・ジョップクラワン氏の著書によるとカムペーンペッだそうです。兄弟、両親がスパンブリー出身なので、よく間違えられると書かれております。

下記は1997年ワット・タップクラダーンで売っていた本の内容を箇条下記にしたものですが、幅が合わず、読めないかも。

プムプアン・ドゥアンチャン

佛暦 西暦 年齢
2504 1961 0 1961年8月4日スパンブリーの12兄弟姉妹の5番目の子供(ラムプン・チットハーン)として生まれる。
(生まれたところはかむペーンペットか?)
バンコクへ旅行し、楽団入りを計画するも、失敗
2516 1973 11 地元スパンブリのワイポット・ペットスパーン楽団に雑用係として働き始める。
ワイポットを尊敬し、ポーと呼んだ(養子縁組をしたと言う説もある)
歌ナム・ハイ・テムの練習をした。
ワイポット楽団で歌い始め、80バーツ/日稼ぐ。
2519 1976 14 ナムプン・ムアンスパーン名で、ワイポットの作曲したケーオローピーを売り出す。
トランペット奏者ティーラポン・セーンスックと結婚
有名プロデュサーのモン・ムアンウアの元へ行く。
芸名をプムプアン・ドゥアンチャンに変更する。
2525 1982 20 アソーナ社(アゾナ社)へ移籍。(1982-1986)
トゥンナーンコーイ、フェーンプムプアン、ダオルアンダオルーイを歌う。
2526 1983 21 3枚目のアルバム内のサーオナーサンフェーン(ロップ・ブリーラップ作曲)が大ヒットする。
2527 1984 22 クラッセカオマーシ、ハーンノーイトーイニット、ウーフーロージャンがヒットする。
ティーラポンが妹のジャンジュアン・ドゥアンチャンに手を出し、離婚。
2529 1986 24 タカテーンプークボーのパイジット・スパーワーリ(ロップ・ブリーラップのコンビ)に相談。
2530 1987 25 男優のクライソン・セーンスックと再婚。
ペット・サンティパープ出産
トップライン社移籍、ヌーマイルー発売
2531 1988 26 ヌーマイルー、ヌーマイアオ、ピーパイドゥーヌーパイドアイ、タラップペット、タラップトーン
コーハイルアイ、ナムプンドゥアンハー、スーパールークトゥン5枚組発売
2532 1989 27 プムプアンの趣味という特集がです。
2534 1991 29 チェッシーコンサートで体調不良発言
4月20日?ナムプンドゥアンハー歌唱中に倒れる。
6月バムルグラート病院へ入院
3535 1992 30 3月プムプアンスーパールークトゥン1-5録音
5で フアジャイタワーイワット、ナーンバーンガオ を歌う
6月13日死去

♪้hamadaさん♪

> タイタナウッドのルークコー1の中にタイタナのナックローンバーンノークがあります。

あらら、そうなんですね! 確認しました。
ご指摘ありがとうございました。訂正しておきますね。
これからもよろしくです♪

田舎ものの歌手

いつも楽しく見せてもらっています。
タイタナウッドのルークコー1の中にタイタナのナックローンバーンノークがあります。

その後

その後のペット君情報・・・
http://www.norsorpor.com/%E0%B8%82%E0%B9%88%E0%B8%B2%E0%B8%A7/r1489624/http%253A%252F%252Fwww.innnews.co.th%252Ftung.php%253Fnid%253D172678
残れなかったみたいでした。でもなかなかいい感じの男前じゃないですかね?!

♪ダ~さん♪

> 先日カラオケ店で息子さん(ペット君?)の曲を聴きました。ダンスナンバーでしたが、次世代をリードできる歌手ではないでしょうか。とても気に入ってしまいました。
>


うーん。
わたしはまだ(テレビとかでも)生でみて、聴いていないので、何ともいえないですねぇ。
だから、AFエントリーがスゴく意外で驚いてます。


> ちなみにシライさんのうらやましい忌追悼コンサートにも出演していたスナリー・ラーチャシーマーですが、今月東京のタイカラ屋さんでライブをするようです。仕事休んででも行こうと思っています!


場所と日にちをメールでお知らせ下さい!
行けるといいんだけど・・・

♪シライさん♪

プムプアン追悼コンサート、真っ盛りですね!
またレポート楽しみにしてますね。

魂は引き継がれてるようです

先日カラオケ店で息子さん(ペット君?)の曲を聴きました。ダンスナンバーでしたが、次世代をリードできる歌手ではないでしょうか。とても気に入ってしまいました。

ちなみにシライさんのうらやましい忌追悼コンサートにも出演していたスナリー・ラーチャシーマーですが、今月東京のタイカラ屋さんでライブをするようです。仕事休んででも行こうと思っています!

No title

 現在、タイではプムプアンの17周忌追悼コンサート真っ盛りです。7日のタイ文化センターのコンサート(ターイ、タカテーン、アーン、スナリー、フォン、アジャリーヤー、メンポー、カッタリーヤーの8名の歌手です。見に行ってきましたので、その内私のブログで写真を載せます)、7日スワンルムでユイ、サッラクジット、ジャンジュアンのコンサート、13日ウェーティータイで、14日スワンルムでと続いております。

トゥクトンナカ~!!

はいそうです。P'komtaには仲良くしてもらっています。
こちらこそよろしくおねがいします。

私のブログ。
少しですが、ルークトゥンもあります。ほんと少しですけど。
http://tem2song.blog121.fc2.com/

Re: 特集楽しみにしてます

♪hanaさん♪

はじめまして。

> プンプアンの息子ペット君がタンブンのため出家、というニュースをついこないだ見ました。
> AF6にエントリーするらしいですが、どうなるでしょうね。

そうなんですか!
しっかりとした実力が試されてしまいますね。色んな意味でどうなるか楽しみです。

ところでhanaさんてデイリーのhanaさんですか?

特集楽しみにしてます

プンプアンの息子ペット君がタンブンのため出家、というニュースをついこないだ見ました。AF6にエントリーするらしいですが、どうなるでしょうね。
特集楽しみにしてます。ルークトゥン好きなんですが、あまり彼女のこと知らなくて。宜しくお願いします。

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 業界内でも知名度も上がり、近年は独自のコンサート企画やコラボ、日本とのコーディネートにも関わるようになりました。最近では、歌手から日本行きや仕事の紹介を頼まれることもあります。
 歌手を呼びたい。コンサートへ行きたい。など、お気軽にお問い合わせください。少しでも、一人でもタイのルークトゥンが広まり、ファンが増えることが本サイト最大の目的です。


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